阪神大震災の教訓から
平成24年2月1日

 1月31日、元神戸市長の笹山幸俊さんのお別れ会がありました。笹山さんは阪神大震災当時の神戸市長で、神戸市の職員として1946年から戦災復興事業に取り組んでこられ、再び阪神大震災後の復興事業に取り組むことになりました。その結果が奇跡といわれた神戸市のすばやい復興です。

 市長は、震災発生から1月半の間、自宅に帰ることなく市役所に寝泊まりして陣頭指揮をとったと伝えられています。暖房のない市長室での生活で、ダンボールと新聞紙の暖かさを知ったとの名言を残しています。それでも、初動の遅さを批判されました。

 消防水利が損壊したために初期消火を基本とする消火活動ができなかったこと、格納庫が損壊したために消防ヘリが出動できず被害の全容を把握できなかったこと、非常用発電装置の損壊により防災無線が機能しなかったこと、自衛隊への出動要請が遅かったこと、などの事態が重なりました。

 これらの事態は、市長の対応に問題があったわけではありません。しかし、市長はいっさい弁解をするようなことがなかったとお別れ会で紹介され
ています。大切なことは、弁解することではなく、このときの課題をどう解
決し、何が未解決かということを防災関係者が共有しておくことなのです。

 例えば、消防水利です。阪神大震災後直ちにポンプ業界に依頼して、遠距離送水型の消防ポンプ車を開発し、神戸市の消防署に配置しました。最近では大都市を中心に国内・国外製の装備が進んでいます。福島第1発電所で活躍したのは東京消防庁の遠距離送水型ポンプ車でしたが、東京電力からもっと早く具体的な要請があれば、もっと成果を上がられたはずです。

 消防の分野での最大の成果は、緊急援助隊の創設です。阪神大震災の時は、神戸市の消防水利は95%を水道に頼っているとのデータを消防庁で把握していましたので、午前9時過ぎに全国の消防に対して水槽車などのポンプ車が神戸へ応援に入るよう要請しました。これが、現在の緊急消防援助隊の始まりです。

 お別れ会で配布された栞にある笹山さんのことばが目につきました。    
『「復興計画」の10年の間に、将来のことを考えておかないといけない。5年で元に戻っても、他の都市に比べて5年遅れるわけですからね。』
神戸医療産業都市の建設は、この考えに沿うものであり、東日本の復興に活かさなければなりません。      



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