平城遷都1300年に思うこと
平成22年1月1日

 今から1300年前、当時の国家が何をめざしていたのかを振り返ってみますと、当時の大きな課題が、医療・介護・福祉であり、教育であったことに思い当たります。時代が変わった現在も同じ課題を抱えているではありませんか。

 

金光明経が国家の基本?

 東大寺は正式には金光明四天王護国寺と呼ばれるように金光明経に基づくといわれています。このお経には、為政者が民を虐げるようなことをすると天変地変が起きること、こういう症状の病気にはこういう薬を用いることなどが説かれているそうです。

 

貧窮問答歌は警世の歌

 聖武天皇の皇太子時代の教育係といわれている山上憶良の貧窮問答歌も、国家の基本に基づき、為政者は弱い立場にある国民に心せよという警世の歌と理解できます。

 

福祉の原点は賑給の制度

 こうした歌をうけて、この時代の孤児・寡婦・老人にお米を支給する賑給(しんごう)の制度により虐げられやすい人たちへの配慮をしていました。

 しかも、そのためのお米を確保する ための賑給田を設けていました。もっとも賑給田は次第に地方有力者に私有されてしまって、地方では賑給制度が行われず、賑給制度は平城京周辺でのみ存続していたとのことです。

 

国分寺と悲田院・施薬院

 中央に東大寺・法華寺を、地方に国分寺・国分尼寺を設置したのは人材養成のためであり、悲田院や施薬院を設けたのも医療・介護を実施すためです。

 

1300年前の思いはどこへ

 さて、平成の時代の私たちは、天変地変を恐れながら平城京で医療・介 護・福祉と教育を国家の基本に据えた思いを引き継いでいるでしょうか。

 

地方の犠牲のうえの平城京

 また、大仏建立に動員された人たちをテーマとした帚木蓬生の「国銅」にみられるように、平城京づくりには全国から労働者が動員され、その多くは生きて故郷に帰れなかったこと、その家族が嘆き悲しんでいたことを忘れてはなりません。

 平城京建設は地方の犠牲のうえに行われたのですから、奈良だけのお祭りに終わることのないことを望みたいと思います。それが犠牲になった多くの人への配慮ではないでしょうか。



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