消費税率引上げが国家の危機を救う
第90号 (H24/2/9)

 通常国会が始まり、所信表明演説への代表質問、ついで予算委員会の第1ラウンドは昨年の大震災関連の第4次補正予算の審議へと想定された国会運営の手順がすすめられ、2月8日、参議院の本会議で第4次補正予算が可決されました。これにより、予算委員会の第2ラウンドは再び2月9日から衆議院の予算委員会で新年度予算の審議が始まりました。
 
 今国会開会以来の国会議論は、民主党のマニフェストで消費税に手をつけないといっていたのに消費税率引上げは公約違反であるとか、年金の抜本改革の姿を示さなければ議論ができないとかいうことを中心に堂々巡りするばかりで、議論が深まるまでにはいたっていません。今このとき重大なのは、ギリシアに始まった国家の支払い危機の広がりが日本を巻き込もうとしており、その危機を救えるかどうかです。

 禅語に「両頭截断(せつだん)して一剣天に倚(よ)って寒(すさま)じ」とあります。楚俊禅師が生きるか死ぬかの崖淵にある楠木正成に与えたことばと伝えられています。南朝側で戦った正成に対して、生か死か二者択一の問題を超えて、南朝の存在を示すことだとのメッセージが込められており、このことばで正成は迷うことなく使命を果たしました。今の日本にとって重大なのは、消費税率引上げの是か非かの二者択一の問題を超えて、国家の危機を救うことなのです。「両頭截断して一剣天に倚って寒じ」の発想が必要です。

 これまでの財政の危機が国家の危機としてとらえられた時期を想い起しました。戦後の順調に復興した日本で、国家の危機が広がったのは、1973年のオイル・ショックでした。オイル・ショックは予測を上回る深刻な経済不況となり、1974年の国の税収入でも8000億円の収入欠陥となりました。

 引き続く、国の1975年度予算は、翌年分の税収入を先食いして編成したうえ、予算が成立した後の4月15日、三木内閣の大平大蔵大臣は財政危機宣言を出しています。さらに、年度途中での9月の補正予算では、収入増を図るために酒・たばこ税の増税法案を提出したものの否決されたため踏み切ったのが、2兆3000億円の赤字国債の発行でした。

 それから3年後の1978年12月に発足した大平内閣では、財政再建の必要性を訴え、翌年8月、衆議院総選挙を控えた臨時国会の所信表明演説で、1984年度に赤字国債脱却を図ることとし、そのための対策として極力歳出の削減に努めるが、どうしても不足する財源は、新たな負担を求めざるを得ないと考えていることを明らかにしました。それはすでに政府の税制調査会で検討されていた「一般消費税」であると受け取られ、選挙結果は、自民党は過半数を確保できず、定数511のうち248議席でした。その後、党内抗争が激化して衆議院解散、1980年6月の衆参同時選挙となり、大平首相が命と引き換えに戦った選挙により、ようやく自民党が勝利して284議席を獲得しました。

 それが、財政をダメにしました。一般消費税が政治から消え、1975年以後1989年まで15年間にわたり赤字国債の発行が続きます。赤字国債が0になるのは、1990年から1993年までで、バブル経済による税収増によるものでした。しかも、この時期に1990年6月、日米経済構造協議を受けて公共投資基本計画を策定して1991年から10年間で430兆円の公共事業を拡大、これを1995年からは10年間で630兆円に拡大。これらによる建設国債の償還費の拡大で赤字国債依存の財政へと逆戻りです。

 繰り返しますと、大平首相が、日本人は説明すれば分かって貰えるとして一般消費税を掲げて2度にわたり衆議院総選挙に臨んで国民の覚悟を求め続けたにもかかわらず、その後の中曽根内閣の「増税なき財政再建」では責任を専ら政府内の努力に向けるものとしてしまいました。さらに悪いことには、中曽根内閣が種を播いた「日米経済構造協議」により決定した政府事業の拡大は現在も政府の膨大な累積債務残高となって国債の償還費を賄う赤字国債の原因となっています。

 1987年に発足した竹下内閣は、その1年2か月後には消費税法を公布、消費税を創設した功績を高く評価されなければなりません。しかし、消費税創設のときに消費税額と同額を所得税で減税したために税収入を増やすことにはならず、財政危機を救うことにはなりませんでした。そのうえ、国の税収構造が劣化したため、消費税の創設が財政危機を深刻な事態にしています。

 税収構造の劣化を説明します。消費税は景気に左右されない税といわれるように、景気が良くなっても税収に自然増が期待できません。ところが、所得税は経済規模が拡大する以上に大きく税収が伸びます。消費税導入時点で同額の所得税を減税したということは、所得税にはあったはずの将来の自然増収部分を期待できないことにしてしまったのです。

 それから6年後の1994年12月、村山内閣で消費税率を2%引き上げて5%にする法案を成立させ、これを1997年4月に橋本内閣のもとで実施しました。このときも、増税分を所得税で減税していますので国庫への収入は増加していません。要するに、所得の多少に応じて負担する所得税から、消費の多少に応じて広く薄く負担する税に転換したということであって、大平首相が命をかけた消費税が財政危機を救うことなく今日にいたったのです。今、野田内閣が取り組もうとしている消費税率の引上げは、原点に立ち帰って財政危機を救うことにあります。これまでとの違いを理解して欲しいと願っています。


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