格差の背景
第71号 (H19/2/13)
写真は建国記念日に因み橿原神宮から畝傍山を望む

 

 所得倍増計画が始まったのは昭和35年。戦後の貧しさから脱出できたのは池田内閣の所得倍増計画のお陰だ。当時、国家公務員も地方公務員も給料は月に2回に分けて支給されていた。給料を払う資金が潤沢ではなかったからだ。それが昭和39年の東京オリンピックの頃になると給料は毎月1回払いとなり、昭和41年には財政再建団体からの脱出は無理といわれていた徳島県が財政再建を完了した。

 ところが経済発展は全国一律というわけにはいかず、どうしても歪が生じる。その歪が激しくなって、昭和45年に議員立法で過疎対策法が制定される。これはピンポイントの地区限定の対策であったのに対し、全国的な経済発展を狙ったのが田中角栄首相の第3次全国総合開発計画いわゆる三全総である。三全総は均衡ある国土建設の計画であるとともに内需拡大の計画でもあった。しかし田中内閣の退陣とともにこの壮大な三全総は消滅し、ピンポイントの過疎対策法だけが法律の題名を変えながら10年毎の議員立法として現在まで続いているに過ぎない。その後、格差を是正するダイナミックな試みが政治の世界から浮上することは未だにない。

 例えば、中曽根内閣の要請により作成された昭和61年4月の前川リポートが国際協調のために構造改革として内需拡大を提言しているが、三全総の均衡ある国土建設の計画を引き継ぐものではない。むしろ逆に日本の特定の製造業を主体とする輸出産業を守るために、海外への直接投資を奨励し、さらに国内の石炭産出を抑えて海外からの輸入炭への転換や農産物の国内市場開放を提言するなど今日の地域格差拡大への方向づけをしてしまった。これはその前年の9月のプラザ合意とともに均衡ある国土建設を放棄したに等しい。その代わりに日米構造改革協議の圧力を受けて平成2年に10年間で430兆円にのぼる公共投資基本計画を策定し、平成6年にはこれを630兆円に改定して地方における社会資本の整備を推進すると称して日本の産業構造を土木建設事業に依存するように転換してしまったのだ。

 その後、デフレ経済から抜け出せず国も地方も財政難に陥ると諸悪の根源は公共投資とする風潮が日本を覆うことになって、転換した直後の地方の産業構造を破壊し、その結果、地域格差は拡大し続けることになる。現在の日本経済の好調は海外事業収入によると言われているのは、まさに前川リポートの筋書きに沿ったものであるが、残念ながら前川リポートの住宅投資拡大は不動産バブルを生むとともに、前川リポートから出発した日米構造協議で土木建設事業に依存する産業構造に転換させられた地方経済は崩壊が進んだ。

 そこで、現在の格差に対応するには前川リポートを超えることから始めなければならない。それなのに、格差はないとか、格差はあって当然と言っていられる場合ではない。それこそ壮大な脱格差計画が必要なのだ。そうでなければ、北海道の夕張市の再生はなく、全国いたるところに浮上しつつある地方公共団体の財政破綻を再生することができないという背景があることを認める必要があると思う。

  なお、夕張市を初め産炭地域が崩壊したのは、前川リポートに明確に記されているいように日米構造改革協議により日本の貿易黒字を縮小するため国内産を抑え石炭の輸入拡大に産業政策を転換したからで、国策による地域切捨ての典型的な例だ。

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