中島敦生誕100年を迎えて
最近、島内景二著・「「中島敦「山月記伝説」の真実」」と題する文春新書が刊行された。中島敦の「山月記」は高校の国語の教科書に載っていたことを思い出して手に取り、この文春新書を読んだ。
「山月記」は、唐の玄宗皇帝の時代に官吏の登用試験である科挙に合格して官吏になった李徴(りちょう)を主人公とする物語。官吏になったものの満足できず詩家として名を死後100年後に残したいとして退官。故郷に帰り詩作に没頭するが、名声は上がらず、生活は困窮。やむをえず地方官吏となるが、自尊心を傷つけられることが多かったのであろう1年後、公用で旅に出た夜、発狂して行方不明となる。虎になっていたのである。
翌年、監察御史の袁惨(えんさん)が勅命を奉じて地方に出たところ林の中で一匹の虎に襲われた。ところが虎は身をひるがえし草むらに隠れ、そこから人の声がした。それは昔ともに科挙に合格した李徴の声のようであった。袁惨が李徴ではないかと問うと、そうだと言う。
李徴は、草むらに隠れたまま身の上を語り、浅ましい姿に変わったのは、自分の臆病な自尊心と尊大な羞恥心のせいだ。このままでは自分の作った詩が世に出ずに終るようになり死んでも死にきれない。記憶している詩があるから伝録して欲しいと頼む。李徴は30篇の詩を朗誦し、最後に自分の妻子に自分は死んだと伝え、妻子が生計を立てていけるように計らって欲しいと袁惨に頼むのである。
文春新書の著者によれば、中島敦は「山月記」を中国の「人虎伝」をタネ本として書いたという。しかも「人虎伝」の翻訳が「山月記」の前に2種類あるという。一つは今東光の翻訳で、大正15年12月に刊行された「支那文学大観」に収められている。もう一つは佐藤春夫の翻訳で、昭和16年5月の「定本・佐藤春夫全集」に「親友が虎になった話」として収められている。
2つの翻訳は作家の手によるものだけに立派な文学作品である。それなのに今日まで中島敦の作品が広く読まれてきたのは何故か。それは、中島敦と親しかった人たちが「山月記」を読んで、中島敦が「李徴」であり、親しかった人はそれぞれ自分が「袁惨」だと察知し、中島作品を世に出すことに動いたからだというのが、島田景二氏の結論である。
今年の5月5日で中島敦生誕100年を迎えた。「山月記」をあらためて読んでみて、「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」に気をつけているか、困っている人に手を差し伸べているかということに注意を払うようになった気がする。

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