今回のテーマ−−−「イラクへの自衛隊派遣と『バクダット憂囚』、『イラクだより』」
平成16年1月19日に始まった通常国会は衆議院本会議における代表質問に続いて1月26日から衆議院予算委員会で審議が開始され、15年度の補正予算の質疑で幕が開けられました。委員会では注目される自衛隊のイラク派遣について派遣先であるサマーワ市の評議会が機能していたのかどうかがクローズアップされました。自衛隊の先遣隊は1月22日にサマーワ市の評議会の議長と会談し、その結果を帰国隊が日本に持ち帰り、政府には評議会は機能していると報告していました。これを受けて首相も防衛庁長官も1月27日に国会でそのように答弁していたのです。ところが、評議会は23日に総辞職してしまっていたものですから、「機能していた」との答弁は事実に反するということで、予算委員会は紛糾しました。
なぜ評議会が問題になるのかといえば、治安状況を把握する目印としてとりあげようとしているのでありましょうが、現地の状況は総辞職によってただちに悪化するものではないはずです。総辞職によって現地の統治機構が影も形もなくなったわけではないでしょうから。評議会には宗教指導者が参加していないとか、武力攻撃の終了後に国外に亡命していて帰国した者が目立ちすぎるとか、行政責任者を直接選出すべきとの批判があります。こうした空気を反映したうえでの総辞職でしょうから、今後どういう手続で評議会が構成されるのか、あるいは評議会制度そのものがなくなるのかどうかの問題があるにしても、直ちに治安に不安があるとは言えないと思います。
その後の調査では、評議会はまだ総辞職していないとか、自衛隊が会ったのは評議会の副議長であったとの指摘もあります。いずれにしても事務機構はありますので、そう厳密に扱うこともないようです。そもそもフセイン大統領のイラクは社会主義の国家ですから、国も地方も革命評議会が統治機構の中心でした。それがフセイン以後は民主国家を目指すのですから「革命」のタイトルを外したとはいえ「評議会」の制度を存続させることに抵抗感があるはずです。
イラクは社会主義国家でしたから、経済活動も政府が掌握していましたのに、武力攻撃終了とともに、政府関係者は逃げ出して無政府状態になってしまいました。このため、米英主体の連合行政官を統治の基盤とし、各国が支援をする旨の国連決議1483号が可決され、日本の自衛隊も人道復興支援を行うため派遣されるものであります。このような基本の事情が十分に説明されませんと、何故自衛隊がイラクに行く必要があるのかが分って貰えないと思います。
今から20年前のイラク・イラン戦争時にイラクで営業活動をしていた日本のある商社マンがイラクで逮捕され、釈放されるまでをノンフィクションとして描いた吉松安弘著「バクダッド憂囚」が平成元年に新潮社から出版され、今回の武力攻撃後にPHP社の「文庫」に収録されました。
これを読むとフセインのイラクがどんなものであったのかに加え、経済活動に各国がどのようにしのぎを削りあっているのかの片鱗をみることができると思います。商売は商売、助け合いは助け合いという同時進行の現実を直視することの大切さを汲みとることができるでしょう。
イラクで亡くなられた外務省の奥大使が71回にわたり外務省のホームページに送りつづけた「イラクだより」が一冊の本にまとめられて刊行されました。この本も吉松安弘著の「バクダッド憂囚」とあわせて読みますと、よく理解できます。例えば、「イラクだより」にはバクダッドでは鯉料理が名物で、現地の人にとっては高い値段であるのに家族で鯉料理店に行くのが楽しみだと報告されています。「バクダッド憂囚」にはイラクでは肉よりも魚が好まれると記されており、それで鯉料理店に高い値段でも足を向ける事情が納得できるというわけです。奥大使や井ノ上一等書記官が健在で、奥大使の「イラクだより」が続いていれば、サマーワの事情が的確に日本に伝えられたのにと思いますと、お二人の力が日本外交を支えていたことを痛切に感じさせられます。
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