今回のテーマ ― 「 石上神宮の七支刀(しちしとう) 」
天理市の石上神宮(いそのかみじんぐう)に七支刀が伝えられている。七支刀(しちしとう)と呼ぶこの刀が日本書紀の神功皇后摂政 52 年に百済から献上された七枝刀(ななつさやのたち)で、献上されたのは西暦 369 年にあたると推定されている。
今なぜ七支刀かといえば、この古代刀剣の復元展が平成18年 2 月 25 日から 3 月 26 日まで橿原考古学博物館で開かれているからだ。復元に取り組んできたのは、東吉野の刀匠、河内国平(本名は旧漢字の国平)氏。20数年前に考古学の故末永雅雄博士の指導の下に鍛造の方法により復元した。鍛造というのは赤く熱した鉄を叩いて延ばして再び二つに折り曲げる工程を繰り返して強い地鉄を造ることをいう。七支刀の銘文には百錬して造ったと記されているので誰しも鍛造で造ったと思うのが自然であろう。しかし、河内刀匠はこの方法で復元することに疑問を持ち続け、鋳造による復元の研究に取り組んだ成果を今回展示している。このために韓国や中国にも足を運び、また、鋳造の仕事場には石上神宮の宮司も立ち会ったという。
河内刀匠の仕事振りについての宮司の話。 河内刀匠の情熱に協力しないわけには行かなくなりました。七支刀を3時間ほど黙って見つめている間、こちらもお付き合いいたしました。新年の準備で忙しいときでしたが東吉野の鋳造の仕事場に 3 回ほど出向きました。金象嵌の文字の復元に職人ではなく象嵌の大家があたっているのに驚きました。
宮司の話の続き。 石上神宮の御神体は「ふつのみたま」、「ふつしのみたま」、「ふるのみたま」で、「ふつのみたま」は神武天皇の東征の途上の難儀を救うため天照大神により下された神剣、「ふつしのみたま」はスサノオノミコトが八岐大蛇の退治に用いた神剣、「ふるのみたま」は物部氏の祖が天下るときに授けられた十種神宝で、石上神宮は日本書紀の垂仁天皇紀に記されている「神庫(ほくら)」つまり武器庫だったと見られています。「ふつのみたま」は伝承通り拝殿と本殿の間の禁足地の地中に埋められていましたが、七支刀は神庫(ほくら)の木箱の中で真綿と真綿の間に納められています。七支刀は御神体ではありませんが神剣に準じて扱われ、毎年 6 月 30 日の神剣渡御祭(しんけんとぎょさい)には、七支刀が神剣の代わりに用いられてきました。神剣「ふつのみたま」が出現したのは明治7年であり、宮司に任じられた水戸藩の菅政友(かん まさとも)が禁足地の発掘調査した結果です。神剣が地中に埋められていた事情は推測の域を出ません。
河内国平氏への期待。 七支刀復元は中国や韓国にまたがる技術移転のありさまを推測させてくれます。故末永博士が復元を提起されたことの大きさをこの復元展は示しており、河内刀匠が納得のいく復元はこれから始まるという意気込みに並々ならぬものを感じます。
なお、神剣「ふつのみたま」は日本書紀の神武天皇紀で「 平国 之剣(くにむけのつるぎ)」と記されています。その代役を務めた七支刀の復元に取り組む刀匠が「 国平 」を名乗られているのは、素晴らしい符合です。 |