コンドルセの定理
多数決は日常頻繁に使われており民主主義を支える当然の原則として誰も疑問をもたない。この多数決の原則を数学的に裏付けたのがコンドルセだ。本名は、マリ・ジャン・アントワーヌ・ニコラドゥカリタ・コンドルセ侯爵。22歳の時の積分論で翌年にフランス科学アカデミーの会員になり、1882年にアカデミー・フランセーズに迎えられ、その就任講演で社会数学という新しい学問を提唱したと小学館大百科事典に記述されている。
提唱どおり1885年に「解析学を多数決に適用する試論」を発表、コンドルセの定理と呼ばれるものだ。180ページに及ぶ論文の中から色々なことが読み取れるが、「あることについて十分に理解されれば、それについて合理的な判断が出来る者が2分の1以上になる」ということが重要だ。多数決というのは何がなんでも採決で決めればいいというものではない。採決の前提として問題となっていることが良く理解されていなければならないのだ。
このことから、多数決の原則で成り立っている政治体制では、日常的に国民の判断を求めることが出来ないので議会制を採用することになる。したがって、議員を選ぶ場合にもそれにふさわしい選挙運動期間が必要であり、直接に国民の判断を求める国民投票では問題について国民が理解できる環境を整える必要があるのだ。
コンドルセは1789年のフランス革命以降政治に参画、立法議会議員、国民公会議員に選出されて憲法草案の作成にあたり、ジロンド党、ジャコバン党の両方から味方と受け取られていた。しかしコンドルセの憲法草案はジャコバン党により否定されたうえジャコバン党から命を狙われる身となり、保護者であったヴェルネ夫人宅に隠れて世紀の遺書と呼ばれる「人間精神進歩の歴史」を書き残した後、パリ郊外で拘束され、衰弱死したという。コンドルセが身を隠している間ソフィー夫人はコンドルセと離婚をしていたが、コンドルセの死亡に前後してソフィー夫人も拘束され、ジャコバン党のロベスピエールの失脚によりソフィー夫人は解放され、再び自由主義者の集まるサロンを開いたとロマン・ロラン著「愛と死の戯れ」の日本語訳者 斉藤正直は訳注に記している。
ロマン・ロラン著「愛と死の戯れ」は1924年にロランのフランス革命劇集の1つであり、主人公のジェローム・ドゥ・クールヴォアジエは主としてコンドルセを想定しているとロランは序文に書いている。なお、コンドルセは無償の公教育の確立と女性の地位の確立の功績によりフランス革命200年記念行事で顕彰されている。 |