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通算24号
平成19年3月21日

平城遷都1300年記念事業は「公」の精神の発揚を

 奈良県の平城遷都1300年記念事業は、県の発表によれば事業費350億円で、県内の経済効果は2100億円、近畿全体で4000億円ということであった。これが最近、事業費を50億円減らして300億円に変更するという。ところが経済効果の数値について変更後の発表がないどころか、そもそも当初の350億円の事業費で経済効果がどうして2100億円になるのかが未だに明らかにされていない。

 当初の350億円の事業費で経済効果がどのくらいになるか推測してみよう。会場整備費や進入道路事業費で250億円、運営費に100億円と仮定すると、直接の経済効果は350億円。入場者を500万人と見込んでいるので、この人たちの消費が1人1万円として波及効果は500億円というような計算になるであろうが、このうちから県外への流出(例えば東京の企業に事業を発注すれば支払額の多くは県外に流出)が3割はあると見込んで差し引きして県内の経済効果は595億円というところであろう。県のことだから産業連関表を使って計算するのであろうが、公表している事業費からは到底2100億円の経済効果は出てこないであろう。それにもかかわらず、つぎ込んだ費用の6倍もの経済効果があると錯覚させるような県の発表はよろしくない。経済効果を大きく見せるために JR 奈良駅周辺の立体交差事業や大極殿の復元事業を経済効果にカウントするようなことを考えているとすれば言語道断である。

 おかしなことは、未だに経済効果の計算根拠を示していないことだけではない。遷都1300年記念事業は何のために行うのかの基本が示されていないことだ。恐らくは企画会社に委託しているのだろうが、それがそもそもおかしいのではないか。目的を明らかにし、概要について県民の支持を得てから県費を使っての準備に入るべきなのではないか。こういう手続きが何時示されるのかと待っていても一向に表面に現れていない。

 奈良時代から平安時代に橋渡しをした人物として空海や最澄の名が知られている。いずれも奈良時代に東大寺や興福寺で研鑽して奈良の寺を支えた後、平安時代に独自の世界を作り上げた。その空海や最澄を相手に宗論を展開した僧に徳一上人がいた。空海は徳一を菩薩として崇めたのに対し、最澄は徳一と真っ向から対立。空海や最澄に対して徳一の出した疑問への回答は平安い時代に壷坂寺の僧房覚(ぼうかく)の真言宗の立場からの「未決答釈」や源信(げんしん)の天台宗の立場からの「一乗要決」によってなされている。それほど徳一の提起した問題は仏教教学の根本問題であった。

 徳一は仏教の伝道者として北関東から会津にかけて多くの寺を建立。仏教文化の格差解消の実践者が徳一であった。今その会津の磐梯町に徳一の建立した慧日寺(えにちじ)の復元工事が進められている。慧日寺は明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で取り壊されたのであるが、地元は都から離れた遠い地にも奈良の文化の拠点があったことを後世に伝えたいという。奈良の文化は現在でいうお経だけが中心ではない。聖武天皇・光明皇后は全国に国分寺を置き、病と貧困から救済するため施薬院と悲田院を付置させた。しかし会津のように国分寺がない地域に徳一は自分で寺を建て、官寺の恩恵のない地域にも文化の光を当てようとしたのであろう。だから徳一は民衆を病の不安や貧窮から救済する者として菩薩と呼ばれ、上人と呼ばれたのだ。「官」でもない「民」でもない「公」の精神が奈良時代に花開いていることを忘れてはいけない。

 平城遷都記念事業は民衆の病の不安と貧困を解消しようとする国家があったこと、それを支える実践家がいたことを顕彰し、その志を後世に残す事業であることを望みたい。したがって例えば東京の企画会社に丸投げをするようなことであってはならないと思う。地道に磐梯町がどういう目的で慧日寺の復元に取り組もうとしたのかを見習ってほしいものだ。



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