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通算32号
平成20年3月14日

 3月10日放映の TBS テレビ「東京大空襲 語られなかった33枚の真実」は、警察官として写真撮影に従事していた小川光洋が撮った33枚の写真について、その写真の場面がどのような経緯で出現したのかを米軍の記録フィルムを交えながら紹介していた。

 3月10日の東京大空襲は、米軍が日本本土で無辜の民を無差別に焼死させることを狙い、ハーグ陸戦条約に真っ向から挑戦する違法な戦闘行為の始まりであった。これが広島、長崎へとエスカレートしていったことを忘れることはできない。

 全国戦災犠牲者慰霊碑を建立する会の滝 保清さんが自著「赤い吹雪」の中で東京大空襲の時に背負って逃げた祖父の背中に燃え移った火をどうしても消すことができずに火に巻かれ、祖父を死なせてしまったと記述している。何故消えないのか事情が分からなかったが、 TBS のテレビで納得した。米軍の B 29が投下した焼夷弾は、一種のナパーム弾であり、38ないし48個の爆弾を束ねたクラスター爆弾でもあったという。

 焼夷弾というと爆弾の中に灯油が詰まっているものと想像していたのに、火力が強く付着したら取れないゲル状の油脂が詰まっていたのだ。もちろん水を掛けても消火できるものではないし、火力が強いので付近は酸欠状態になる。しかも焼夷弾は日本の瓦屋根を貫通して屋内で破裂するようにしたもので、民家を攻撃する兵器として開発されたことは明らかである。

 TBS のテレビ番組のタイトルに「語られなかった」とあるのは、占領軍に対して小川光洋が写真のネガを隠し続けたくらいであったから、写真について語ることができなかったのである。小川光洋が懼れたのは占領軍がネガを没収して東京大空襲の残虐な証拠を抹消しようとすることであった。今、その写真は東京の東京都慰霊堂に掲げられているという。

 東京都慰霊堂は言うまでもなく1923年の関東大震災の犠牲者の慰霊堂で、東京大空襲の犠牲者はここに間借りして慰霊されているということだ。これで分かるように東京大空襲をはじめ広島も長崎も犠牲者の慰霊碑を国は建立していない。国は占領軍に楯ついてまで戦争犠牲者の慰霊をしようとする気がなかったからだ。戦後63年も経つのに国は戦争のけじめを付けないまま放置してきたことを謝罪しなければならないと思う。

 そこで、2005年には衆議院で全国戦災犠牲者慰霊碑を建立する会からの平和記念慰霊碑建立の請願を採択した。それにもかかわらず、内閣は衆議院の請願採択を無視し続けているのは問題と言わなければならない。


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