石見銀山
平成19年11月5日

左の写真は石見銀山を象徴する灰吹き精錬所跡の石垣。世界文化遺産で産業施設が指定されているのは10か所あり、石見銀山は11番目の指定となった。この写真の奥は山で、集落であった。


 11月5日、世界遺産に登録されたばかりの銀山を見学。石見銀山が当時としては大量の銀を産出したのは、灰吹き法による銀の精錬技術が開発されたからだ。床に草木灰を置き、その上に銀鉱石をすり潰して撒き、さらにその上に木炭を重ねてフイゴで空気を送りながら火力を上げる。始めに鉛が溶け出して灰に吸収され、銀が残る。これが灰吹き法というもので、中国の技術を発展させた日本の技術だ。

 この精錬技術によって、日本は世界の銀の3分の1を産出した。関ヶ原の戦いの5年前にオランダで刷られた日本地図には島根県のか所に「銀王国」と記されていた。フランシスコ・ザビエルが日本を訪れたのも、銀の取得のためだったというのが現在の定説になっている。ヨーロッパの産物を日本に持ち込み、日本の銀で中国の産物を買い入れてヨーロッパに送り込む三角貿易をしていたのだ。

 銀山収入の4割を幕府が、6割を石見銀山奉行の大久保長安が取り、長安はそのなかから費用を負担した。その後も佐渡金山奉行を勤め幕府初期の財政に貢献した。石見銀山に受刑者を使用するようなことはなく、長安は労働者を優遇。1日あたり米4升に子供には3合を加算、怪我をした場合にも1.5合を加算した。

 しかし大久保長安に抑えられていた本田正純親子は長安が1613年に死去すると不正蓄財があると家康に訴え、一族は粛清されてしまった。石見銀山に長安の墓が残っているものの本来の墓ではなく、死後に駿府の墓が暴かれて安倍川の川原で曝された。なお、長安は1600年から7年間、郡山在番を勤め、奈良の霊山寺・天理の長岳寺に朱印状を出したり、郡山の洞泉寺の税を免除したりしている。


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